【コロナ帰国】オミクロン株流行時のアメリカから日本の一時帰国(隔離編)

旅 | TRAVEL

みなさんこんにちは。エリです!

前回の記事では、日本に入国にあたっての必要書類と、羽田空港での実際の検疫の状況を記事にしました。

今回はいよいよ、#隔離ガチャならぬ、政府指定宿泊施設での隔離の実態、そして自宅隔離に切り替わった後にオミクロン濃厚接触者に認定されたお話をお届けいたします。

 

「#隔離ガチャ」とは?

岸田首相がオミクロン株に対しての水際対策を発表してから、一気に増えた隔離対象者。そのため、空港近くの隔離施設が急激に足りなくなってしまい、地方のホテルや学生寮などまで使われるようになりました。

ネット上では、「成田空港に帰国して、また飛行機に乗せられ福岡のホテルへ移動させられた」「宿泊施設がホテルではなく、暖房やWifiのない学生寮だった」などという声が挙げられ、施設の差がピンキリであったり、行き先が空港から離れた地方に飛ばされたりと人によってバラバラであるため、「#隔離ガチャ」というハッシュタグが流行していました。

しかも、なぜか行き先は目的地に到着するまで伝えてもらえないということで、「日本全国ダーツの旅」感が強いと話題になっています。

私も久しぶりの国際線でかなり疲れていて、これでまた飛行機に乗って地方に行くことになったらかなりしんどいので、どうか首都圏の隔離施設がいいなと心から願っていました。また、リモートワークでZoomミーティングなどをする必要があったので、Wifiが必須条件だったのですが、このような希望はある程度税関で聞いてくれたのでほっとしました。

行き先を伝えられずに、バスならまだしも飛行機に乗せられて、アメリカでそんなことしたら暴動が起きること間違いなしです。

 

団体バスに揺られて隔離施設へ移動!

羽田空港での検疫が終わり、団体バスに案内される私たち。

とりあえず、乗り物が飛行機ではなくバスだったことに安心する私。笑

 

「ホテルA」と書いてあるバスに乗車し、次のグループが乗車するのを待ちます。ミステリーツアー感満載で、向こうも楽しませてくれています。

バス内で「これからどこに連れて行かれるんですか?」と1人の女性が尋ねていましたが、「すみません、行き先を伝えることは禁じられているので」と答える運転手さん。

NETFLIXの「ORANGE IS NEW BLACK」という刑務所モノドラマで、主人公のパイパー(囚人)が刑務所を移籍することになった時に、車の中で「どこに連れて行くのか教えなさいよ!私たちにだって基本的人権はあるのよ!!」と叫んでいたシーンをふと思い出しました。

 

さて、バスに揺られて数十分。見慣れた景色が広がってきました。

もしやここは、私の地元YOKOHAMA…!?

このまま高速を降りて、たどり着いた先は横浜のAPAホテルでした。よかったぁ!

 

宿泊施設滞在のルールについて

隔離期間の数え方

私が帰国した2021年12月20日時点での隔離期間は全部で14日間。そのうちの3日間が政府指定の宿泊施設での隔離、残りの11日間が自宅での隔離でした。

しかし、「入国した日は隔離日にカウントされない」というルールがあるので、私は早朝5時に日本に着いたにも関わらずその1日はカウントされませんでした。実際は丸15日の隔離期間だったのでなんだか損した気分。(笑)

この隔離期間の数え方で混乱して、隔離後の移動手段などの予約を間違えてしまう人が多発しているそうですので、お気をつけください!

 

宿泊施設での隔離中は禁酒・禁煙!?

ネット上の情報で、「宿泊施設では禁酒、禁煙」という情報があり、個人的にとてもびっくりしました。え、刑務所?

喫煙禁止は、喫煙所に出たりしなきゃいけないからという理由ならなんとなく分かるけど、飲酒は成人していれば個人の自由では?

私は毎晩晩酌をするタイプではないけど、ひとりホテルに閉じ込められて、時差ボケで寝れない夜こそ、ワイン一杯くらい飲みたいなと思います。

実際には、羽田空港での一連の手続きの時に、100%希望に応えられるか分からないとの前置きの上で、喫煙ルームがある場所を希望するかどうかを聞かれました。APAホテルに到着した時の手続きも、喫煙ルームか禁煙ルームを選べるようだったので、喫煙はOKなよう。

ただ、「飲酒禁止」のルールは実際にしおりにも書いてありました。

 

デリバリーや差し入れについて

Amazonなどを使ったネットショッピング、デリバリーや家族等からの差し入れは受け取ってもらえます。

私は友人が一回、母親が一回差し入れに来てくれました(涙)

クリスマス仕様が嬉しすぎる。

 

各部屋へのお届けが翌日の午前中」としおりには書いてあります。そのため、冷蔵や冷凍が必要なもの、温かいものは預かってもらえず、常温のもののみになります。また、アルコール等が入っていないか、中身をチェックされるとのこと。(実際には、差し入れが届いた1時間後くらいにスタッフが部屋に持ってきてくれました。)

 

実際にチェックされていました。(苦笑)

 

政府指定の宿泊施設での3日間

宿泊施設の設備

私が泊まったAPAホテルはベッド、トイレ、シャワー兼浴槽がついたビジネスホテルでした。部屋内は大股3歩で歩けるくらいの広さで、ここに3日間は正直きついなあという印象でした。

部屋にはテレビ、Wifi、湯沸かしポットが用意されていますが、電子レンジはありませんので注意。

私はコーヒーを毎朝飲むので、使い捨てのドリップコーヒーのパックをスーツケースに入れて持って行きました。ポットがあってよかった!

また、暇な時につまめる間食や、配布されるお弁当が冷たいので、インスタント味噌汁やスープなど持っていくと、QOLが爆上がりします。

 

毎日の食事

朝8時ごろ、昼12時ごろ、そして夜は6時ごろにスタッフがお弁当をドアノブにかけてくれます。

お弁当はこんな感じ。

かなり豪華ですよね?毎食飽きないようにこだわっていて素晴らしかったです。これを電子レンジで温めて食べれたら何倍美味しくなることか…。

私は胃袋がアメリカンサイズになってしまったのか、配られるお弁当だけじゃ足りず、自分で持ってきた3日分のお菓子も0日目に全て食べ尽くしてしまい、お腹がグーグー鳴っていました。爆笑

差し入れが本当にありがたかったです…。人よりよく食べると自覚のある方は、カップ麺などの非常食をスーツケースに忍ばせておくのが賢明かも。

お弁当が全部屋に配り終わった時、「ピンポンパンポーン♪お弁当の配布が終了しました。」みたいなアナウンスがわざわざ館内放送で流れます。

事前に大体の配膳時間を言ってくれているし、冷たいお弁当なら、わざわざ放送で知らせてくれなくてもいいのになと思っていました。(時差ボケでの昼寝中とかに放送流れると、しんどかったです笑)

スタッフがドアノブにかけてくれる時に、外でガサゴソ音がするので、腹ペコの私は放送を待たずにドアから取って食べていました(笑)

 

アプリMySOSからの居場所確認

前回の記事でも紹介した、日本政府からダウンロードが義務付けられている居場所確認アプリMySOS。

入国した翌日からフル活用します。トップ画面はこのような感じです。

毎朝自主的に「健康状態報告」ボタンをクリック、体温などの情報を入力します。(10時ごろまでに入力がないと、通知が来てリマインドされます)

また、毎日2、3回ランダムに「居場所をお知らせください」という通知が来て、その通知が来てから5分以内に「現在地報告」ボタンをクリックしなければいけません。(押したら管理センターにGPS情報が行くという仕組み)

MySOSの通知音が他のアプリと同じなので、気付くのが難しかったです。(電話オンでない限り、iPhoneの通知音が鳴ってもすぐに携帯を見る習慣がないため)

さらに、毎日ランダムに居場所確認のビデオ電話がAIからかかってきます。

このように背景を映して自動切断されるまで30秒間じっとしてます。相手がAIとはいえ、30秒間どこを見ていいか分からず毎回気まずかったですw

私が他の人から聞いていたのは毎日1回だったのですが、オミクロンが流行り出してからは頻度が変更になったのか、私の時は毎日午前中と午後に一回ずつ、計2回かかってきてました。

遅い時には夜10時ごろにかかってきたこともあり、結構面倒でした。

14日間の隔離中、トイレやお風呂で出れなかったこともありましたが、何回か出れなくても特に問題はないそうです。

 

政府指定の隔離施設を退所・自宅隔離へ

いよいよ退所日!

宿泊3日目の朝にまた抗原検査を受けるのですが、これもまた朝6時前の館内放送で、検査キット回収のお知らせが流れます。

ちなみに自分はまだ3日目じゃない時でも、容赦なく全体放送で「ピンポンパンポーン♪本日抗原検査提出の方は、ドアノブにキットをかけておいてください」という爆音アナウンスで起こされます。

午後2時前にフロントから電話が鳴り、検査結果が陰性なので、出所の準備をしてくださいとのこと。

私は実家が横浜なので、団体バスで空港に戻されるよりも、直接ホテルに迎えに来てもらったほうが断然両親も楽だし、何より団体バスに乗る必要がなくて安全(実際に空港と隔離施設間の移動の団体バスで感染したという本末転倒なケースも発生している)。

なのでフロントの方に、団体バスに乗らずにこちらへ迎えに来てもらってもいいかと質問しましたが、答えはNO。理由は、「規則なので…。」

なんて日本らしく、そして納得のいかない理由!!笑

結局他の隔離者と一緒にバスに揺られ、空港に到着。バスが着くなりその場で解散でした。私が空港に戻された意味は全くなく、迎えの車のチェックもなし。このまま隔離者が一般の人と紛れて、電車などの公共機関に乗ってしまっても分からない状態でした。

そんなこんなで終わった指定施設での隔離生活。空港まで迎えに来てくれた両親と2年半ぶりの再会をしました。

 

自宅での隔離

実家に帰れた日はちょうど弟の誕生日。母がここぞとばかりに手料理を振る舞ってくれ、家族と久しぶりに食卓を囲み、楽しく過ごしていました。

携帯を開くと、MySOSが「待機場所からの移動が検知されました」とご立腹な様子です。施設隔離が終わって自宅に帰ったんだから、移動が検知されて当たり前だろー!

 

オミクロン濃厚接触者への2週間の隔離

実家にようやく帰れてホッとしている私が、一つだけ恐れていたことがありました。それは、機内にオミクロン感染者が出ること。

この頃の岸田首相は、すでに隔離施設が足りてないのにも関わらず、「オミクロン株の濃厚接触者を全員施設に14日間強制隔離!」「飛行機内でオミクロン感染者が出たら、同じ便の乗客は全員濃厚接触者!」という大胆なルールを掲げていました。

つまり、同じ機内にオミクロン感染者が1人でも出たら、政府指定の施設に14日間隔離されてしまうのです。

例隔離3日目の検査でコロナ陽性の人が出ても、その後のゲノム解析でオミクロン株かどうかわかるのは入国後最低5日かかります。

なので3日間の施設から自宅に帰ってきても、その後政府から「あなたと同じ機内にオミクロン感染者がいた」と連絡が来て、ハイヤー車で迎えが来て隔離施設へ逆戻りさせられている人がたくさんいました。

やっとの思いで自宅に戻れたのに、悲しすぎる。

オミクロン株を怖いと思ったことはないけど、政府の対応が怖すぎです。

 

保健所から電話、濃厚接触者確定!?

実家に戻ってきた翌日、実家の市長区村の保健所から電話がかかってきました。

ドキドキしながら電話に出ると、やはりオミクロン感染者が機内で出たとのこと。晴れて濃厚接触者確定です。

恐る恐る「私は、隔離施設へ連れて行かれるんでしょうか?」と聞くと、もうすでに神奈川県は隔離施設が足りずにパンク状態。私の場合は同居家族に高齢者がいないのと、症状が出ていないため、このまま引き続き自宅で経過観察で大丈夫とのこと。不幸中の幸いで、実家で自主隔離を続けられることになりました!

ただ、濃厚接触者であるため、保健所の職員がこれから2日に1回PCR検査を自宅のドアへ届けてくれて、検査をしたものをまた取りに来てくれることに。

実際に翌日はクリスマス且つ日曜日にも関わらず、保健所の方がPCRテストを届けにきてくれました。その後もキットを届け、受け取りに来てくれる職員の方。クリスマスや大晦日に、わざわざわたしのよだれを取りにこなければならない保健所の方に対して、本当に不憫な気持ちになりました。

2週間の隔離、終了!

自身がオミクロン濃厚接触者と判明して2日後、岸田首相がオミクロン濃厚接触者の定義を「感染者の前後2列の人」ということに急きょ変更しました。

なのでわたしが本当に濃厚接触者だったのか分からぬまま、毎日のアプリの連絡に加えて保健所からも毎日電話がかかってくる日々でしたが、無事検査は全て陰性。

晴れて自由の身になれました!14日間の隔離が終わったら、アプリはそのまま削除。

隔離期間が年末年始とかぶっていたのもあり、母の美味しい手料理を食っちゃ寝の毎日で、体重の10の位が増えてしまう悲劇が起こりました。

 

おまけ・ アメリカへ帰る時の手続き

ということで、日本での隔離生活について今回は書きましたが、あまりアメリカに帰る時の情報が少ないので、おまけでこちらも書いておきます。

アメリカに帰る時は隔離は必要ないですが、入国の際にワクチン証明書と、24時間以内の陰性証明書が必要です。

日本でのPCR検査+英文の陰性証明書を追加すると、2万円ほどかかるので、出費が痛いなと思っていました。

ですがよく調べてみると、陰性証明書は飛行機に乗る時に必要なだけで、アメリカに着いた後の提出の必要はありません。なので英文証明書を発行する必要もないということです。

さらに調べると、PCRではなく抗原検査でOKと書いてあったので、わたしは安いと噂の木下グループのクイック抗原検査を1900円で受けました!

わたしは深夜便だったので、当日のお昼ごろの枠をネットで予約をして、検査を受けました。約30分で結果のemailが届きます。

PDFを印刷し、搭乗前にフロントスタッフに見せると、木下グループの陰性証明書は生年月日の記載がないらしく、そこだけ鉛筆の手書きで付け加えるように指示がありました。

また、ロサンゼルス空港では、空港職員によってランダムに陰性証明書を持っているかのチェックが行われるので、一応空港の外に出るまでは陰性証明書を持っていてくださいと言われました。(私はアメリカに着いた後の提出は一度もなかったです)

 

まとめ

以上、わたしの隔離施設での隔離生活の体験談でした!

今回帰れて本当に嬉しかったですが、次に帰国するときは隔離などをしなくてもすぐに帰れるような時代になっていて欲しいと切実に思いました。

長文記事を最後までお読みいただきありがとうございました。

エリ

 

 

 

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